カーペットの上で寝る

冷たいベッドに入るのが嫌で最近はホットカーペットに寝転んで気づくと朝になるのを繰り返している。あっという間に過ぎた1日に後悔しながら低温火傷じゃ死因にもならないなとどうでもいいことを思う。

夜になるとさみしくてさみしくて理由もないのにボロボロと泣いてしまう。
この部屋にはわたししかいない。それこそ声でも上げながら泣けばいいのに、昔からの癖で喉も鳴らさずぬぐいもせず溢れてくる涙のせいで頬がかぶれていく。

本当はさみしくなる理由がいくつもあるんだろうけど、文字にすると途端に(そんなことで泣いてるの?)と自分に責められてしまう気がして洗い出せない。
そんな言い訳をして、問題に直面することを避けているのかもしれない。
(かもしれないと書いたことでわたしはまた自分への明言を避ける)

そんな夜のことを卑怯なわたしはいつか無かったことにしてしまう気がして、ここに記している。きっとわたしは、確かにあった日々のことも自分の都合のいいことばかりでまとめて入らないことは忘れてしまう。

何かしなきゃいけないという焦りから、今年の目標を立ててはみたけど、それがいいかどうかはよくわかっていない。きっとしたほうがいいことをいくつも書き連ねてみたけど、本当は人生にいいも悪いもない。

わかっていることが実行できない生活はもどかしく、自分から自分への信用が日に日に目減りしていくのを感じる。人生の義務教育が終わっていないのにこんなに歳を重ねてしまってわたしはどうするつもりなんだろう。

わたしが本当だと信じているものが実は唯一のものではないと多様な価値観を持った人たちに知らされることは苦しい。
せめて盲目に信じられる強さがあればよかったのだけれど、頑固なわりに強くないわたしは折れるようなこともなく毎日少しづつしおれていく。

わたしが信じているものは間違いで、でも間違いでもなくて本当の生活も本当の仕事も本当の目標も人によってそれぞれ違うのであれば「本当の人生」って何なんだろう。

そんなものないよと話す他者の人生をこんなに望んでいるのに手に入れる努力ができないわたしの存在をわたしが否定していく日々だけが膨れ上がっていく。