3月

「自分のことを好きになる」以外に人生の解決策がないことに気づいてしまった寒い春の日だった。

ホームから見える青空がずいぶんきれいで、天気のいい日はいつもより澄んだ気持ちで死にたくなる。

寒いと特に感度が過敏になっていろんなことが生死に終結してしまう。
3分毎にホームへと届く電車を何本も見送る。
それは私の小さな抵抗ではあるのだけれど、私は私自身が線路に飛び込む勇気など持ち合わせていないことを一番理解している。
今日だってちゃんと電車に乗って仕事場に向かえている。

タイムラインの話題のなかで、誰かの人生の本番のために練習にされる他の人生のことを知った。

見覚えのある話だと思った。
私を透かしたそこに他者が写る。自分が誰かの代わりであることを理解する。
きっと、この世界のどこかにいる、私がなり得なかった他者のことを思う。
全ての人間の下位互換として存在している自分の人生。本当は、代わりにすらなれていなかったんだと思う。

私で練習していった人たちはみんなちゃんと本番の人生で成功できたんだろうか。

私は今でも、自分の人生がまだ本番じゃないんじゃないかって思うときがある。本当の人生の始まりが待ってるんじゃないかって思ってしまう。でも、そんなことはなくてこのでき損ないの私が本番で、残機は1機しかなくて、またいつもの通り、この人生を解決するためには私が私を好きになる他ないのだと同じ答えに行き着く。