いつか幸せになる人たちへ

なんにも続いたことがない私だけど、インターネットだけは小学生の頃からずっと続けている。

Twitterは最たるもので、始めて10年くらいになるんだろうか。就活の苦しさに耐えかねて作ったこのアカウントも、もう7年の付き合いになる。

一歩も動かず画面を片手に、たくさんの誰かの人生を垣間見ることができるなんて、Twitterは本当にすごい。

書かれていることが嘘でも本当でもいい。

とにかく自分の気持ちを肯定したくて自分が書き起こせない感情の機微を記してくれているアカウントを見つけては安心していた。
自分のことを書き表す余力もなくて、それすら他人に求めているなんて情けないとは思うけれど、共感によって自分の苦しさを紛らわすことに必死だった。
ここではないどこかでは、私はあなただったかもしれないと思いたかったのかもしれない。

アカウントの向こうには人がいてそれぞれの生活があるということ。

いつかを契機として、変わっていく人たちを見てきた。それは過去の否定ではなく、だから違う地点に行かなければならないという覚悟に思えた。
勝手な寂しさは置いていかれたという気持ちだろうか。元から同じ地点に立っていたかも危ういというのに。

7年、生まれたての子供が小学校に通うだけの時間が流れている。私だってもうこの人生がごっこ遊びじゃなくて本番だということに気づかなくてはいけない。

いつか幸せになるために。