夏のお弔い

夏が終わってしまった。
だましだまし訪れていた暑さや、張り付くような日差しも秋の空気の前ではひたすらに無力で、とうとう本当に終わってしまった。

夏が似合わないわたしのまま、また瞬くような秋がきて気づけば冬になる。夏だけが季節のなかで明確な終わりを有している。

夏用に買った朝顔柄のワンピースは結局1回しか着ることがなかった。似合うと思って買ったのだけれど、どうもしっくりこなくて出したりしまったりを繰り返していたら、また時が経ってしまう。

祖母が亡くなって、大きな失恋もして、へらへらしているわりにはいろんなことがあった。全てが過ぎ去って、真剣に向き合わなかった日々達がわたしのこれからに復讐を始めるのだろう。祖母の死と失恋を並べて書くような浅ましいわたしのことだ。無自覚を言い訳にしてまた誰かを消費してしまう、それがひどくこわい。

書きたいことはたくさんあるのに、文章にできるだけの余力が生活のなかにない。こういうときは、うまく出力できないとしても意地で書き連ねるほうがいいんだと思う。いつか振り返ったときに同じことしか言っていないなと苦笑することになっても。

最近のことについて書く。
わたしの好きな街は再開発によってどんどん形を変えていく。新しい建物が、出来の悪いCGのように思い出の風景に重なる。やめてほしい、なにもそこに加えないでほしいとどんなに思っても古いものは整備され新品が追加され続ける。やれ新しい店だ、建物だと街の解体はとどまるところを知らず、ついに建築物だけではなく、思い入れのある道にも終わりが訪れてしまった。学生時代、どこか遊びにいくときにいつも通っていた道だった。

物忘れのひどい私はまるで自分の過去が解体されていくような痛ましさをもって、昨日は通れた道の跡地を夏の終わりにぼーっと見つめていたのでした。本当に本当に悲しいなぁ。