どこまでが今なのかわからなくなる

日記のはしっこみたいなものを書いたり消したりしていたら、

書きかけの日記が鮮度を失って、また違う日々が始まってしまうのを繰り返している。

 

日々には速度がある。

びよびよにのびた永遠の6月があると思えば、気づけば終わる3月がある。

そうやって毎日がのびたり縮んだりしている合間に季節が巡っていくと少し前まで当たり前に思っていたのに。

 

今のことを思って書いているはずなのに感覚や感情が日々の速度にどんどん追い抜かれていく。

どこまでが今なのかわからなくなる。

忘れてしまうことが本当にこわい。

 

私の3月は本当に素晴らしいものだった。

カメラロールに残る思い出のすべてがそれを証明している。

忘れないように写真をたくさん撮っておいてよかった。

一緒に、少しだとしても言葉も書き残しておいた方がいいなと思った。

どこまでいっても私は過去に生きていると思い知らされる。

 

スマホに残る家の近くの桜や、何となくとった街の風景や、人と一緒に食べたご飯の写真が祈りになる。

どこまでが日々だったんだろう。2020年はあと3分の2残っている。