泣いてもどうにもならない

どうしても我慢ができなくて、電車や駅のホームで泣いてしまう。

季節外れの暖かさが電車の中の空調をバグらせる。差し込んだ光は窓枠のかたちにそって四角く広がり、人の座っていない席を照らしている。

私は、電車の進行方向に合わせて大きく広がっていく光の枠組みを見つめ続けた。
まばたきをしたら涙がこぼれてしまうと思って一心に見つめてはみるけれど、抵抗もむなしくぼたりとこぼれてしまう。

大人が公共の場で泣いているのは相当異様な光景だろう。

自分でもやばい奴だなと思うのだけれど、一度堪えきれなくなるとどうしてと止まらない。

代わる代わる席に座るまわりの人たちは、私のことを一切無視している。私がいてもいなくてもこの場所には何ら影響はない。


電車で泣いている人に一度だけ出会ったことがある。

夕暮れの私鉄、老人といかつい風貌の若者が数人。制服姿の女の子は、私の目の前の席で足元から目をそらさないで涙をこぼした。

がたがたと電車が進む音と、若者の話し声が響く車内で鼻もならさず女の子は無音で泣き続けた。
あぁ、と思った。私にできることは何一つない。車内がいきなり違う場所になったような緊張感。
老人も若者も女の子に目もくれない。
夕暮れのオレンジが少しだけ、綺麗に巻かれた髪に光って、しっかりメイクされた大きい目からこぼれる涙。私は、目をそらすことができなかった。
悲しいことがあったんだろうな。それを知ることも私にはできない。

でもあれきりだ。
私はあの子にはなれない。

日々の不安や仕事への後ろめたさが目の裏側にためこまれ、音楽や季節、光の動きなど何かをきっかけにして爆発してしまう。
爆弾みたいな自分の感情の仕組みが気持ち悪い。

どうか言い訳をさせてほしい。
泣きたくて泣いているわけではないのだ。でも、どうしても泣いてしまう。
赤ちゃんが自己主張のために泣くのだとしたら、私の理由もほぼ同じものだろう。
私は、人に何かを主張できるような正しい人間ではない、それが痛いほどわかっているからこんな姑息な手段でしか自己を主張できない。

大人になってからの方が泣いているなんてどうかしていると自分でも思う。