ひっかかること
お世話になっている先輩が飲みの席で、
「自分も元は荒れていて、自己愛を振りかざして人を不登校にしたこともあったが、大学で自分の自意識にやられ鬱になったとき、
かけがえのない友人に救われ人の大切さを知ったので今は自分と同じくらい人を愛するようにしている。」
といった話をしてて、その場ではよかったですねと答えたのだけれど本当によかったのか?と帰り道に思ってしまった。
先輩によって人生がずれてしまったAさん(仮)の人生は先輩の人生経験によって消費されていいものではない。
言ってしまえば、先輩の加害がなければAさんは不登校にならずに済んだはずなのだ。
自意識による鬱がそれによる報いだといった文脈にはなっていたけれど、先輩が死のうと鬱になろうと不登校になってしまったAさんの学校生活は戻っては来ない。
自分のいたらなさ故に与えてしまった人の人生のずれはこちらがどんな気持ちでいようが取り戻せないのだから。
「丸くなったあとの先輩にお会いできてよかったです。」
そういって笑うのが精一杯だった。
顔もみたことがないAさんの、欠けてしまった人生を想像する。
私も、身勝手な理由で人を攻撃した過去がある。
どんな生活をしてても一生許されない。
私が加害した事実は絶対に消えない。
もし、許された気分になるとすれば相手が自分より人格者で、その傷を隠すのが上手かっただけという一点に尽きる。
人から受けた傷を人は一生覚えている。
話の切れ目に後輩がタイミングよく店員を呼び、また話題が流れるように変わっていく。
こういうときに切り替えられないから、どこでもやっていけないんだと感じた。