名前

名前をよく間違えられる。


苗字も名前もそこまで珍しいわけではないのだけれど、人はよく見る漢字のほうについつい引っ張られてしまうみたいだ。
私も経験があるのでその気持ちはすごくよくわかる。


あまりにもよく間違えられるので、
今じゃ特段訂正の連絡をすることもない。


ふんわり相手が気づいてふんわりそれを直してくれるのをふんわりと待っている。


あ、気づいてくれた。よかったよかった。


相手が少し気まずそうにしているとこっちも
申し訳ない気持ちになってくる。


『あぁ、すみません、名前わかりにくいですよね笑
よくあるんで、全然!お気になさらず!』


文字で打つとびっくりするくらい白々しいね。
本当にそう思っているのだけれど。


名前を間違えるのは失礼だと教わってはいても、
いろんな人からされているとそんなもんかと思ってしまう。
相手が悪意があるわけではないこともちゃんとわかっているから。


名前を声に出してくれるような場所であれば、
すぐに気づいてもらえるけれど、文面だけでの
やりとりだとそうもいかない。


例えば、
荻と萩 地と池 縁と緑


私の名前を、
『荻地縁』
と仮定したとき、
『萩池緑』
と間違えている人が画面に打つ文字は


『OGITI ENISHI』ではなく 『HAGIIKE MIDORI』となっているはずだ。
こうなるともう全く違う人じゃないか。


これは推測だけど、
『はぎいけみどり』が『おぎちえにし』
と間違えられることはあんまりないと思う。
これは最初に書いた、「人はよく見る漢字にひっぱられること」に起因する。
こんな苗字があるかどうかもわからないしどちらも例え話だけど。


私は自分の名前が好きだ。
我ながらすごく自分に合っているなと思うし、
人に名前を名乗るときに●●って名前っぽいねと言われるのも好き。
同姓同名とはまだ出会ったことがない。
日本にこの名前がもしたった一人だとしたら、ニュースに載るようなことがあったとき
すぐに私だってばれてしまう。


全く別人みたいな名前で自分宛のメールや手紙が届いたとき。
これは私か?多分そうだな。と思うその数秒。


そこで削られていく魂があると私は少し思っている。
それは本当に私なのか。魂の形が曖昧になる。
削られた部分は元には戻らない。
削られ続けるとどうなっちゃうんだろうか。
それは私で検証することなのかもしれない。


全く違う名前で届いたDMをポスト横のごみ箱に捨てるとき、そんなことを考えている。