二十齢年史

「私、一度も人生で頑張ったことないや」

仕事ができなくてできなくて、毎日落ち込んでいたのだけれどふと人生を振り返ったときにとんでもないことに気づいてしまった。

とりあえず言われたことはこなす子供だった。
宿題を出してない同級生や、わざわざ問題を起こすタイプの人を見て、何でわざわざそんなことするんだろうと小さいながらに違和感を感じていた。
不機嫌な態度をとってまで自分の意思を示すのが面倒だと思っていたのだろう。

小4の時、断りきれずに始めた早朝練習のバスケットボール。私の入ったチームがいつも負けるのでそれがつらくてつらくて堪らなかった。
私を誘った幼馴染みは一年もたたず中学受験があるからとあっさり早朝練習をやめてしまったのに、何故か卒業までずっと続けていた。
好きでもないのに辞めなかったのは、私にも少しくらい努力でなんとかなる分野があると思いたかったからだろうか。
つらすぎて誰にも相談できず家のトイレでこっそり学校で配られた命の電話の名刺を便りに電話をかけたこともあった。
毎回通話中で繋がらず3回かけ直したところで諦めて、水に流して泣いた。
まわりに迷惑をかけているのにプライドが邪魔して始めたことをやめることができない。昔からやってることが変わらない。

椅子に座っていればどんなにテストの点が悪くても評価されるような荒れようの中学に通っていたおかげで、中の上の公立高校にそのままなんの疑問も持たず進学した。

何かに特化した私立にいくほど自分が定まっていなかったし、何よりそこまで裕福でもないのに自分にお金をかけてほしくないという気持ちもあったと思う。

高校で何人か友人はできたけど、みんな本当に優秀で特技があって自分を持ってて素敵な人たちばかりだった。私とバカ話をしててもしっかり受験勉強はしていて、まわりの人たちがまともな大学に試験で受かっていく中、私はAO入試という方法で大学への入学を決めた。

振り返ると、ここまで一度も人生のうちで努力をしていない。
自分ができることをなぞって運よくここまで人間の形を保ったまま社会に滑り込んできただけにすぎないのだ。
形だけの人間モドキのまま社会に出てもう一年と半年、人並みにできることがひとつもない。

私を早朝練習に誘った幼馴染みは中高一貫の私立に入り勉強してまともな私立大に入り今は誰もが知る有名企業でバリバリ働いている。そろそろ結婚の話も出ているらしい。と、久しぶりに幼馴染みの親と食事をした母に伝えられた。

母はただ、幼馴染みの近況を知らない私に親切心から報告してくれただけなのにそれをそのまま受けとることができない。
母にみじめな思いをさせている自分が情けなくてたまらない。
仕事から帰ってきて「苦しくて辛い、私にできることなんてなにもない」と言葉を漏らす私に母は、「育て方が悪かったのねぇ、ごめんねぇ」と謝るのだ。
そんなことないでしょう。私が、私が劣等だったからそれだけの話だというのに。

それでも私はまだ、まだ私にもなにかできることがあるんじゃないかと自殺という選択肢をとれないでいる。

「バスケットボール、結局うまくならなかったじゃん笑」

ずっと向こうの方で私のことを中学生の私が指を指して笑っている。お前だって中学校でいじめられてたじゃないかと声を荒げたくなるのをこらえて私を無視する。
日曜の深夜に爆発した自意識が月曜の私を後ろがわに引っ張っていく。